伊吕波歌现代日文解释

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时间:2019-03-08

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1、1行め「いろはにほへとちりぬるを」の解釈まずは「にほへど[ニオエド]」。これは動詞「にほふ[ニオウ]」の逆接条件のかたちで、「…けれども、…のに」って意味の逆接の確定条件と、「…ても」の意味の逆接の恒常条件のばあいがあるけど、ここは恒常のほうだろう。「そういうふうにしたところで、けっきょくはいつもつぎのようなことになっちゃう」ってことだ。「にほふ」の意味は現代語とちがってて、ここじゃもともとの意味でつかわれてる。「におう」っていえば、鼻で感じるもののことだけど、最初は目でみることについていわれてて、「色がき

2、わだつ、あざやかに色づく」ってことで、とくに赤とかのあざやかな色のことをいってた。「にほふ」の「に」は赤土の意味の「に(丹)」で(赤の顔料とか赤い色のことでもある)、「ほ」は「稲穂」の「穂」とかとおんなじで「目だつとこ、ぬきんでてあらわれてるとこ」、それから「ふ」は動詞をつくる語尾で、「赤い色が目だつようになる、色が赤くうきでる」って意味だったらしい。「ちりぬる」は、動詞「ちる」の完了のかたち「ちりぬ」の連体形。つぎに「を」があるから連体形になってるんだけど、その「を」は間投助詞(または終助詞)の「を」だろ

3、う。感動・詠嘆をあらわしてる。間投助詞の「を」はおもに上代のことばだけど、平安時代にもつかわれてた。「を」はこういうふうにもともとは間投助詞で、それが接続助詞とか現代語の「を」みたいな格助詞にもなった。ここは接続助詞ともかんがえられるかもしれない。この1行めは、「花は色あざやかにさいても、けっきょくはちってしまうものだ」って訳せるだろう。「を」を接続助詞ってかんがえるなら、「ちってしまうのだから」とかになるのかもしれないけど、それだとつぎの行とあんまりうまくつながらないとおもう。それとか、内容的には「ちって

4、しまうように」ってやりたくなるけど、「を」にそういう意味はない。「を」を無視して、ただ「ちってしまう」でやめてる訳もあるけど、それだってわるくないかもしれない。2行め「わかよたれそつねならむ」の解釈「わがよ」は「わたしの世」だけど、「わたしがいきてるこの世」ってことだろう。「たれ」は「だれ」。近世になって現代語とおんなじ「だれ」になった。「ぞ」は現代語にもあるけど、強調の意味で、これをうける用言は連体形になる。いわゆるかかりむすびだ。この「わがよたれぞ」はちょっと問題があるみたいで、「わがよ」っていうのがそ

5、もそもヘンだってはなしもあるけど、それよりも「ぞ」がおかしい。この文章だったら「たれか」がふつうのいいかただ。かなを1回だけ全部つかうってことで、ところどころ無理がある。「ならむ」は、動詞「なり」の推量とか意志とかをあらわすかたち「ならむ」の連体形。っていっても、終止形とおんなじだけど。連体形になってるのは、そのまえに「ぞ」があってかかりむすびになってるからだっていうのは、うえにかいたとおり。ここの意味は意志じゃなくて推量のほうで、「だろう」ってことだ。「ならむ」は発音が「ナラム→ナラン→ナラウ→ナロー」っ

6、てかわってって、現代語の「なろう[ナロー]」になったんだけど、これは現代語としては意志の意味がふつうになってる。かきことばとか、ふるい感じのいいかたなら「なろう」を推量の意味でつかうこともあるけど、たいていは助動詞をつかって「なるだろう」っていってる。2行めは全体としては反語で、古文の定番の訳しかたをすれば、「わたしがいきているこの世で、だれがいつまでもかわらないだろうか。いや、そんなひとはだれもいない」って感じになるだろう。「たれぞ」だから「だれが」って訳したけど、この訳だとちょっとぎこちない感じがするか

7、もしれない。でもそれは原文そのものがそんな感じだからだ、…ってことにしておくことにして、これが「たれか」だったら、「だれか、いつまでもかわらないひとがいるだろうか。いや、いない」とでもなって、こっちのほうが訳としてもなめらかになるとおもう。3行め「うゐのおくやまけふこえて」の解釈「うゐ[ウイ]」は、いろはうたにでてくるただひとつの漢語で、漢字でかけば「有為」だ。これは仏教用語で、サンスクリット語のsaṃskṛta[サンスクリタ]の翻訳語なんだけど、「有為」って訳されたこのことばの意味は「因(原因)と縁(条件

8、)によって生じたもの」ってことだ。ちなみに、[サンスクリタ]には「洗練された言語、純正な言語、完成された言語」って意味もあって、俗語に対する雅語のことなんだけど、これがそのまんま言語の名まえになってサンスクリット(Sanskrit)語っていわれてる。「有為」は要するにこの世とかこの世の現象のことをいってて、それは因と縁がむすびついてできあがってるだけのものだから、一時的なものにすぎない。そんなたよりにならないこの

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