鲁迅藤野先生中日对照

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时间:2018-07-25

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1、藤野先生 鲁迅 著 竹内 好 訳      東京も格別のことはなかつた。上野の櫻が満開のころは、眺めはいかにも紅(くれない)の薄雲のようではあつたが、花の下にはきまつて、隊を組んだ「清国留学生」の速成組がいた。頭のてつぺんに辮髪をぐるぐる巻きにし、そのため学生帽が高くそびえて、富士山の恰好をしている。なかには辮髪を解いて平たく巻いたのもあり、帽子を脱ぐと、油でテカテカして、少女の髪にそつくりである。これで首でもひねつてみせれば、色気は満点だ。           中国留学生会館の入口の部屋では、本を若干売つていたので、たまには立寄つてみる価値はあつた。午前中なら、その内部の二、三の洋間は、そ

2、う居心地は悪くなかつた。だが夕方になると、一間(ひとま)の床板がきまつてトントンと地響きを立て、それに部屋じゆう煙やらほこりやらで濛々となつた。消息通にきいてみると「あれはダンスの稽古さ」ということであつた。           ほかの土地へ行つてみたら、どうだろう。           そこで私は、仙台の医学専門学校へ行くことにした。東京を出発して、間もなく、ある駅に着いた。「日暮里(につぽり)」と書いてあつた。なぜか、私はいまだにその名を記憶している。その次は「水戸」をおぼえているだけだ。これは明(みん)の遺民、朱舜水先生が客死された地だ。仙台は市ではあるが、大きくない。冬はひどく寒かつ

3、た。中国の学生は、まだいなかった。           おそらく物は稀なるをもつて貴しとするのであろうか。北京の白菜が浙江(せつこう)へ運ばれると、先の赤いヒモで根元をゆわえられ、果物屋の店頭にさかさに吊され、その名も「山東菜」と尊んで呼ばれる。福建に野生する蘆かい(=草カンムリに、會。ろかい)が北京へ行くと、温室へ招じ入れられて「龍舌蘭」と美称される。私も、仙台へ来てから、ちようどこのような優待を受けた。学校が授業料を免除してくれたばかりでなく、二、三の職員は、私のために食事や住居の世話までしてくれた。最初、私は監獄のそばの宿屋に泊つていた。初冬のころで、もうかなり寒いというのに、まだ蚊が

4、たくさんいた。しまいには全身にフトンを引つかぶり、頭と顔は着物でくるみ、息をするために鼻の穴だけを出しておくことにした。この絶えず息が出ている場所へは、蚊も食いつきようがないので、やつとゆつくり眠れた。食事も悪くなかつた。だが、ある先生は、この宿屋が囚人の賄いを請負つているので、そこに下宿しているのは適当でないといつて、しきりに勧告した。宿屋が囚人の賄いを兼業するのは私に関係のないことだと思つたが、好意もだしがたく、ほかに適当な下宿を探すより仕方なかつた。かくて別の家に引越した。監獄からは遠くなつたが、お蔭で喉へ通らぬ芋がらの汁を毎日吸わせられた。           これより、多くの初対面

5、の先生にあい、多くの新鮮な講義を聴くことができた。解剖学は、二人の教授の分担であつた。最初は、骨学である。そのとき、はいつて来たのは、色の黒い、痩せた先生であつた。八字ひげを生やし、眼鏡をかけ、大小とりどりの書物をひと抱(かか)えかかえていた。その書物を講壇の上へ置くなり、ゆるい、抑揚のひどい口調で、学生に向つて自己紹介をはじめた──           「私が藤野嚴九郎というものでして……」           うしろの方で数人、どツと笑うものがあつた。つづいて彼は、解剖学の日本における発達の歴史を講義しはじめた。あの大小さまざまの書物は、最初から今日までの、この学問に関する著作であつた。

6、はじめのころの数冊は、唐本仕立(とうほんしたて)であつた。中国の訳本の翻刻もあつた。彼らの新しい医学の翻訳と研究とは、中国に較べて、決して早くはない。           うしろの方にいて笑つた連中は、前学年に落第して、原級に残つた学生であつた。在校すでに一年になり、各種の事情に通暁していた。そして新入生に向つて、それぞれの教授の来歴を説いてきかせた。それによると、この藤野先生は、服の着方が無頓着である。時にはネクタイすら忘れることがある。冬は古外套一枚で顫えている。一度など、汽車のなかで、車掌がてつきりスリと勘ちがいして、車内の旅客に用心をうながしたこともある。           彼らの

7、話は、おそらくほんとうなのだろう。現に私は、彼がネクタイをせずに教室へ現れたのを、実際に一度見た。           一週間すぎて、たしか土曜日の日、彼は、助手に命じて私を呼ばせた。研究室へ行つてみると、彼は、人骨やら多くの単独の頭蓋骨やら──当時、彼は頭蓋骨の研究をしていて、のちに本校の雑誌に論文が一篇発表された──のあいだに坐つていた。           「私の講義は、筆記できますか」と彼は尋ねた。 

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