jor008_4_229吉川幸次郎:元朝诸帝之文学(二)

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1、KURENAI:KyotoUniversityResearchInformationRepositoryTitle元の諸帝の文學(二):元史叢説の一Author(s)吉川,幸次郎Citation東洋史研究(1943),8(4):229-241IssueDate1943-11-25URLhttp://hdl.handle.net/2433/145800RightTypeJournalArticleTextversionpublisherKyotoUniversity229「儒臣・に命じて経史の書を進めしめ、帝王Q治を考ふきりの建物であった’・朱僕氏0.「元大

2、部宮殿圖考」によと見えるやうに、西宮興聖殿の西廊に一高明敞爽、南間以頑物、中間諸官入直所、北間南郷耕録」ること」を職掌とするとごろである。その位置は、「榛’  べに、であって、「元史百官志」の規定するところによれば、閣について語らねばならぬ。奎章閣とは文宗9學聞所。あり、南北三七y。設御座、左右列珍玩、命葦玉内司掌之。、天暦初、建奎章閣於西宮興聖殿之回廊、篤屋三間、文宗皇帝圖帖穆爾の好文については' ■uづその奎章三、文元・み、諸帝の文宗(上)丿元。史叢競の學一-‐ぐコと見え、また三月の條には、は、天暦元年の九月であるが、翌二年二月の條には、立された文宗が

3、、江陵から大都に来て帝位にっいたすなはち。に営るか。北京の掌故に詳しい人には、況があらう。「元史」o文宗紀を案ずるるぐその西廊といへば、あった離宮が、興聖宮であり、れば、今の北・’。海公園、すなはち営時o萬歳山のに、燕眠木兄に擁今の北京圖書館の西北ぐらゐ一の。その正殿か興聖殿で奉各一員、撒迪こ都見迷失、集賢大學士趙世延、並篤大學士、侍御史立奎章閣學士・院、秩正三蔵、以翰林學士承旨忽鄙魯。文宗がどの閣を開いたoは、部位の翌年であった。こ1r口J幸〜次郎-z2-230還郡の愈中なる`兄を、王忽察都β地で弑し、と見える0は、それであるが、やがてそ0年0八月、兄に

4、報告してゐる。「明宗紀」の二月の條紀、たので、この奎章閣の新設に開する人事についても、る迄、暫時天子0職務を代行するといふ立て前であっ%ベベJ心見えてゐる。たことがあるむね、そo「恭践御書奎章閣記碑本」にと見えるCiまた蘇天爵も、この閣の授鰹郎に任ぜられ‐上都で再箆a蓉作れた0は傷侯斯であって、欧陽玄の書いた佻斯0墓誌授鰹郎が置かれた0であった。こともこの閣で行はれたのであって、そ0掛・=\A)してと見える。つまり蒙古人大臣の子弟に、漢書を教へる‐最初に授経郎に任ぜら帝並従之、是月、文宗立奎章閣學士院于京師、遣人以除目来奏、ところで営時文宗は、兄なる明宗が

5、漠北から還都す子孫於宮中、公首被選、天暦・二年秋、文宗開奎章閣、置授経郎、敦動奮大臣子孫、及近侍年幼者肆業、壬申、設奎章閣授経郎二員、職正七品、以動奮貴戚。「文宗紀」を案。≪uるに、明宗が「暴かに崩じた」のは八として峻格が行はれたわけである。あったわけであるが、こxに至って、天子直腸0官署れを承認してゐた。そのため奎章閣も皇太子の官属では、弟の文宗を皇太子として扱ひm0も、説明のっくことであって、漠北で即位した明宗耕鎌」に、始めは「東宮の属官に隷してゐた」といふといふ0はどの間の消息をさすのであ占う。また「檀章閣」と柳しち陶宗儀の「1 耕録」Jにヽも、こ0

6、際に定まったも0らしく、それ迄は軍忙「奎したこと申す迄もないが、「奎章閣學士院」は、創設0際には正三品であったも?と記してゐる。「奎章閣學士院0秩を正二品に陸す」と亥の日であるが、更にそれから四日目の壬寅には、月0庚辰であり、文宗の復位はそれから十八日目0己ぴ即位すると、さっそく奎章閣の攘張を行った。再びヽといふ若柳乃陸篤奎章閣學士院、初名奎章閣、階正三品、隷東宮属官、後文宗復位、六品、陸奎章閣學士院秩正二品、‘更司籍郎篤業玉署、秩正。'文宗もまた表面そ-22-J「茎玉内司」であって、に話文監の附属として蕗林庫と廣成局が設置された。とヽ奎章閣學士院。0附属

7、官栂として蓼文監が、また更‐既に引いた通りである。玩を列し、翠玉内司をして掌らしむ」と見えることは、と見える。5四心また「檀耕録」にも、「左右貧は珍といび、そ0自注に、た柳九思0「宮詞」には、り、天子の司書官であった。奎章閣の皆書博士であっといふ。つまり奎章閣0国書器物を出納する掛りであ0は、「百官志」に奎章閣學士院の所湯としてあげる廣成局、皆隷蓼文監、立話文監、秩従三品、隷奎章閣學士院、叉立蓼林庫更にまた壬寅がら四日自の乙巳には、凡御覧法書名書、草玉内史掌之、先進開元納諌国、四海昇平一事無、常參已散集諸儒、傅宣草玉看名書、玩、及凡常御之物、草玉内司、秩正

8、三品、天暦二年始置、掌奎章圓書賓また「司籍郎を茎玉署と改む、秩は正

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